ECH代表 廣田正俊のコラム
Hirota column
会社の方向性や今現在の様子など
ECH 代表 廣田正俊の考え方とともに記しています。
売上目標がない理由
今回は、ECHには売上目標がない理由について書いてみます。
ECHには、個人やグループに対して売上目標といったものがありません。
「あなたは今年度は1,000万円売り上げてください」や、「あなたたちのグループは5,000万円売り上げてください」といったものです。
これは、ECH起業の最初からありませんでした。
一般的にはどの会社にも売上目標があります。
その目標に対して毎月実績を比較して、うまく行っているやもっと頑張ろうといった掛け声をかけます。
この仕組みが悪いとは思いません。
私も社長をしている会社が変われば売上目標を立てていると思います。
なぜECHに売上目標が無いかというと、会社を興した目的が「人を育て社会に貢献する」だからです。
当然、会社は利益が無いとやっていけません。
利益がある事は前提として、人を育て社会に貢献します。
では売上目標がないのにどうして起業してから毎期利益が出ており、無借金経営が続けられているかというと、1人1人の社員が能力を伸ばせば必ずお客様は仕事を依頼してくれますし、適切な対価を払ってくれます。
強い営業力と、お客様へ良いサービスを提供する個々の社員の能力の高さから継続した利益を上げています。
多くの企業は、個人やグループに売上目標を与えることで、個人の頑張りや成長を引き出そうとしています。
ECHはここが違います。
1人1人の社員へなぜ能力を伸ばさないといけないか、伸ばすとどういった良いことがあるかを伝え、社員が持つ能力が引き出せるよう様々な仕組みを用意して自発的に成長していく会社風土を作っているのです。
ただ、この仕組みをどの会社もできるということではありません。
世の中には、仕事をせず、目立たないようにして会社にぶら下がるといった社員もいます。
このような社員がいると「売上目標」を立てるという形になります。
ECHの社員は全員が自分の能力を伸ばすことに積極的で、会社から強制的な何かをしなくても自分から能力を伸ばすので売上目標がありません。
なお、ECHが全く利益の管理をしていないわけではありません。
半期に一度、社員1人1人の能力を経営層で分析し、適切な成長ができているかを見ながら、社員の成長に合わせて個々に対応をしています。
また、経営情報として、社員1人1人の収支管理を行っており、1人1人が赤字でなければ全体として利益はでるという形で経営を行っています。
一般的な会社が、トップダウンで予定獲得利益を決めて、そこから売上目標を社員へ割り振るのに対して、ECH はボトムアップで、社員1人1人の適切な成長と売上・利益額を見て経営を行っています。
周りの仲間を見ていただくと明らかですが、どの社員も光る部分を持っており、会社にぶら下がっているような社員は一人もいません。
これは、社風から来るものです。
私はECHへ入社を希望する社員の面接時に必ず言っていることがあります。
それは、「ECHに入社すると、最初の1年間は仕事が終わった後や週末の休みに自分で勉強しないと会社について来れないですよ。もしできないようであればECHには入社しない方が良いです。入社して自分で勉強ができない人は自然と居ずらくなってやめています。自分を成長させようと思っている人にはECHはとても良い会社ですが、会社にぶら下がっていれば給与がもらえると思っている人にとってはとても居心地の悪い会社ですよ。」と言っています。
これからも1人1人の社員の成長を最重要項目として、同時に利益が上がるこの仕組みを更に磨いていきます。
2021/03/31
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新型コロナ環境で改めて思ったこと
今回は新型コロナ環境で改めて思ったことについて書いてみます。
1年以上に渡り社会は新型コロナによる大きな影響を受けています。
テレビのニュースやワイドショーで発せられることは毎日新型コロナに関する事ばかりです。
この未曽有の出来事から最近特に思うことが2つあります。
1つは「会社の永続に必要なもの」、もう1つは「社会の一員」です。
会社は社会から必要とされないと残っていけません。
今社会では、観光業、旅客運送業、外食産業は致命的な打撃を受けています。
独力では生き残れないので国から支援を受けたり、他の会社と提携して資本援助を受けたりしています。
私たちがやっているITコンサルタントという業種も今は社会から必要とされていますが、将来何が起こるかわからないという事を考えたとき、例えば量子コンピュータによるAIシステムが開発され、ITコンサルタントの仕事の一部または全てを変わって行うといった事が起きないとも限りません。
しかし、今のECHを見たとき、将来どのようなことが起こっても必ず生き残っていけるという自信があります。
これは人を育てるという事です。
経営の神様と言われるパナソニック創業者 松下幸之助さんが言った事として、「まだ会社が小さかったころ、従業員に、『お得意先に行って、きみのところは何をつくっているのかと尋ねられたら、松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのですと答えなさい』」と言ったそうです。
私はその通りと思います。
会社がどのような仕事をしていたとしても、人が育っていれば、また人を育てることができる会社であれば、社会環境がどのように変わってもその時々の要求に応え、会社は永続的に存続できると思います。
今ECHはITコンサルタントを育てて社会へ貢献をしていますが、今後どのように社会が変わっても、その時に必要とされる分野の知識を社員が身につけて生きていけるといった会社作りを続けていきます。
新型コロナで大きな打撃を受けた航空会社は社員を介護分野などへ出向させることで生き残りを図っています。
一方、「いもとのWi-Fi」で急激に業績を伸ばしたエクスコムグローバルは、この新型コロナ環境で海外旅行がなくなり売り上げの90%がなくなったそうです。
そこでどうすればよいかと思い、社会から必要とされている仕事を考えたとき全く異分野のPCR検査をやろうと思いつきました。
全社員一環となってPCR検査について学び、機材の手配、使い方、ノウハウを習得して、異業種でありながらPCR検査をやれるようになり、今十分な収益を上げています。
どこの会社でもできることではないと思います。
やはり普段から社員が成長する環境を整え、それぞれの社員がいつも能力向上を進めていたからだと思います。
次に、もう1つの「社会の一員」について思っていることは、
先日会社からの帰りに、路上で軽自動車の荷台部分にリンゴとそのリンゴから作ったジュースを乗せて売っている若い夫婦風の人を見かけました。
奥さんとみられる人が通る人に声をかけながら一生懸命リンゴを売っていました。
私は歩きながら近づいて行っていたので様子を見ていると、張っていたポスターから青森産のリンゴを東京で売っている様でした。
ただ、通りがかる人はあまり夫婦を気にする風でなく素通りする人がほとんどでした。
その場所に着いたとき、私もなんとなく気にはなりましたがリンゴを買う事になんとなく恥ずかしさを感じて一度素通りをしました。
そして歩きながら思いました。
「私はたまたま人の縁でITコンサルという分野を知り、その仕事をしていたから今の新型コロナ環境でも影響を受けずにやれているが、何かの縁でリンゴと出会っていたらリンゴを売っていたかもしれないな。」とふと思いました。
リンゴを売っている夫婦も何かの縁でリンゴを売っていて、新型コロナ環境がなければ普通に生活できていたのではないかと思います。
今ここで素通りすると二度とこの夫婦に会うことはないなと思うと、リンゴを買いたいという気持ちが急に強く出てきて引き返してリンゴを買いました。
その時に若い夫と少し話ができたのですが、どうしてこの場所でリンゴを売っているのですかと尋ねると、「世田谷に店舗がありそこでリンゴを売っているのですが配達で田町に来ました。いまの新型コロナ環境ではなかなかリンゴも売れず、このままだとリンゴが残ってしまうので路上販売をしているのです。」という事でした。
私たちは社会の中で生きています。
よい巡り合わせでうまくいっている人もいれば、環境の変化からうまくいかず苦しんでいる人もいます。
私たちはよい巡り合わせでうまくいっているグループに入っています。
社会の一員として、できることを1つ1つやっていきたいと思います。
2021/03/23
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年代ごとの仕事を振り返ってみて 40代から
今回は「年代ごとの仕事を振り返ってみて」の続きについて書いてみます。
40代になるとサラリーマンを辞め、起業した会社をいかにうまくやっていくかといった時期になります。
起業した当初はとにかく仕事をもらわないと給与が出てこないといった状況になりますので、週末に休むなどといった事は考えることができず、仕事があればすべて請けて行うといった状況となりました。
仕事をしすぎて入院をしたという経験があったので無理はしないようにとは思っていたのですが、仕事が目の前にでてくると、その仕事を精いっぱいやってお客様に喜んでいただきリピートにつなげていくという思いから仕事ばかりしていました。
起業する前までは、仕事は自然と来るものと思っていましたので仕事に対する姿勢は「質の良い仕事をすればよい」と思っていましたが、自分が営業をして仕事をとってきてその仕事をするという形になると、仕事をいかにリピートしていただけるかという視点で日々の仕事を考えるようになりました。
それは、自分がいくら良いと思っている仕事の内容でも、それがお客様にとって本当に良いものであるかという視点が必要ということです。
質の良い仕事をしようとするとどうしても時間そしてお金がかかってしまいます。
しかしお客様は納期を重視していて、質はある程度あればよいので急いで納品して欲しいといった要望を持っていたり、また、質は少し位低くても良いので価格を下げて欲しいといったお客様それぞれの事情、重視する視点が違うという事に気づきました。
現在、ERPシステムを導入する立場で仕事にかかわっていますが、その時の経験がとても役立っています。
お客様にとって良いものを自分で判断してシステム導入をするのではなく、システムの質、納期、かかる費用、それらをお客様へ選択肢として提示して、お客様の現状をしっかりと理解したうえでバランスよく提案することが私たちに本来求められているものであるということが本当の意味で理解できるようになりました。
この姿勢が、私が今までかかわってきたお客様から繰返し仕事をいただけているという現状につながっていると思います。
当時の自分に声をかけるとすると、「質の良いものが必ずしもお客様にとって良いものではなく、お客様の現状をしっかりと理解して、納期・費用・使い勝手のバランスを考えた本当の意味でのお客様にとって役立つシステムの導入をすることが素晴らしい仕事である。」と応援します
50代は、会社を大きくしてより多くの人の人生にかかわることができればと思う気持ちが強くなってきました。
それまでは自分の能力を上げることがとても楽しく、毎日新たなことを覚えていました。
休みなく仕事をしてもとても楽しい時期でした。
それが、社員が増えてくると本来自分がやりたかった「人を育て社会に貢献する」という事ができるようになりました。
世の中で自分の能力を上げていきたいと思っている人に私が今まで学んできた技術や知識の習得方法などを伝えて、その人の人生がより豊かなものになればという思いが実現できるようになりました。
自分がどんなに働いても、自分の時間は24時間しかなく、その時間で何かをしてあげることができるお客様の数も限られてきます。
また、自分の体力、そして家族とのつながりを考えると、いつまでも自分が忙しく働くといった事を続けることが良いことではないということに気づきました。
私自身がお客様へサービスを提供することも楽しいのですが、私が知りえたことを多くの社員へ伝え、その社員がお客様へサービスを提供することで、私の会社が社会へより多くの貢献ができるようになるという思いから、人の育成に力を入れるようになってきました。
当時から新卒の新入社員を採用していましたが、他の同規模の会社からは「新卒社員は即戦力にならないが良く採用していますね」とたびたび言われました。
その時の私の答えは、「社員採用の目的は「人を育て社会へ貢献する」ために行っています。会社なので当然利益はあげないといけないですが、人が育ちながら利益を上げていくといったビジネスモデルの構築に取り組んでいるのです。」と答えていました。
ECHがこの業界で今までやれてきているのは、自社でERPコンサルタントに必要な能力(技術力やコミュニケーション能力)を社員へ教えることができるという力があるからだと思っています。
当時の自分に声をかけるとすると、「自分一人で出来ることは本当に限られている。自分が持つ知識やノウハウを多くの人へ提供して、社会から必要とされる会社を作るためにがんばれ。」と応援します。
これからまた歳を重ね60代となっていきますが、いま考えていることは会社の永続と更なるレベル向上です。
ECHに集まってくれた社員がやりがいのある仕事ができ、持っている能力を存分に発揮しながら人生を豊かに過ごせるような会社づくりをしていきます。
また、SAP業界で他とは違う特徴を持った、会社の大きさではなく1人1人の社員のレベルの高さを誇れ、他社から「ECHの社員なんですね」と一目置かれるような会社にして行きます。
2021/03/17
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年代ごとの仕事を振り返ってみて
今回は「年代ごとの仕事を振り返ってみて」について書いてみます。
最近、年齢と共に仕事の内容・質が変わってきたなと特に感じます。
20代の前半は、大学浪人時代の貴重な経験から(貴重な経験はまた別のブログで書きたいと思います)、仕事は会計関係の仕事に就きたいとの思いで就職先を決めました。
新入社員の時は何もわからないので、会社では周りの先輩などを見ながら社会人としての振る舞いや仕事の内容を覚えていきました。
当時はパワハラなどといった言葉は無い時代で、毎日先輩から厳しい指導を受けながら1つ1つ仕事を覚えていきました。
他の部署の人からは「廣田さん、毎日先輩から厳しく言われて大変だね」と声をかけられるくらい厳しい指導でした。
ただ今思い返せば、その時につらい現場から逃げずにやってきたことが今の私の根底にある力強さ(一つのことをやりとげる)につながっていると思います。
当時読んだ本に、「会社の上司が嫌な人でも、会社という組織は必ず異動があるので自分から逃げなくても周りは変わっていく」ということが書いてあり、その言葉が私の助けになったことを今でも覚えています。
当時の自分に声をかけるとすると、「今起こっている周りの事象全てが将来の自分の自信となっていくので逃げずにがんばれよ!」と応援します。
20代後半になると、自分の中に将来は税理士になりたいといった具体的な目標ができて仕事に臨むことができるようになりました。
夜学などへも通いながら、目標に向かって終業後や休みの日も勉強を行いました。
会社の所属は経理部となっていたので、勉強で新たなことを覚えると仕事もより具体的に理解できるようになり、仕事がとてもおもしろく、達成感あるものと感じることができるようになりました。
そのうち、昼は仕事をしているので、夜や週末だけでは勉強の時間が足りないということを感じ始めました。
どうすれば勉強時間を確保できるかを考えていた時、「専門学校の先生」という求人を見つけ、「自分が勉強することで給与がもらえるんだ」ということが魅力となり転職をしました。
そこで私の人生を変える大きな出来事がありました。
マイクロソフトWindowsの発売です。
当時私は経理の先生をしていましたが、会計はコンピュータとの接点が多くそのため情報系の学科で簿記を教えていましたが、周りの先生がコンピュータを操作しているのを見てとても興味が沸き、終業後などにコンピュータを触っているうちにどんどんコンピュータにのめりこんでいき「これはとても面白い」と感じ、私の興味が「経理」から「コンピュータ」へと変わりました。
私は今思うのですが、自分が興味を持ったことにはとことんのめりこむタイプだと思います。
興味を持ったことには時間を忘れていつもそればかりやっているといった状態です。
週末の休みの日や年末年始などの休みもすべてコンピュータを触っていました。
当時の自分に声をかけるとすると、「今おもしろいと思ったことにとことん時間を費やせ。そうすると誰よりもこの分野は良く知っているといった自信が出てくる。1つ自信となるものができると、何事もできるといった自信ができてくる。足りないものがあっても良い、何か1つに秀でるんだ!」と応援します
30代後半になると、勉強すればするほど分かる事が増えて楽しくなり、周りからの視線・評価が変わっていくのが実感できました。
その頃から多くの資格試験にチャレンジするようになりました。
資格試験をとる動機は、自分の得た知識を客観的な評価物としたいということと、履歴書に書けるものを増やして自分の評価を上げたいといったことです。
また、目標を作ることでだらだらと勉強するのではなく、いつ受験するからどういった勉強を行うといった具体的な計画を立てることが自分のモチベーション維持にも役立ちました。
新たな資格試験を受けると決めたときは、まっすぐ自宅には帰らず、毎日マクドナルドで夜の22時くらいまで勉強していました。
勉強はつらいと感じることもありましたが、得た知識がそのまま自分の仕事で使え、知識が増えると周りからの評価が上がっていくことにとてもやりがいと充実した日々を感じていました。
そして、この時に私の人生での大きな出来事が起きました。
脳塞栓による入院です。
朝、目を覚ますと、自分の意識は手をついて起き上がっているのですが、右手を見ると全く動いてなくて、右半身が全く動かないといった状態になっていました。
当時既に結婚していましたので、横にいた妻が私の様子を見てこれはおかしいと思い救急車を呼んでそのまま緊急手術となりました。
後日妻から聞かされたのですが、病院に着いてすぐに医者から「この同意書(手術で何があっても仕方ないですといったような同意書)にサインをしてください。」と言われ、妻は動揺して動けないでいると、医者から立て続けに「今サインしないと旦那さんは死んでしまいますよ」と言われ慌ててサインしたそうです。
手術の結果は後遺症もなく、数日で元の体になりました。
医者からは「普通は半身不随など後遺症がでるのですが、早く処置をしたのが良かったです」と言われました。
発症の原因は、2か月の入院期間中色々と調べたのですが直接の原因はわからず、仕事からくるストレスではないかと言われました。
確かに当時の私はストレスなどは全く感じてはいませんでしたが、仕事(コンピュータの勉強)が楽しくて休みも取らずコンピュータを触っていましたので知らず知らずのうちにストレスをためていたのかもしれません。
当時の自分に声をかけるとすると、「30代は人生で一番充実していて、知識をどんどん増やしていく時期なので勉強をするのはとてもいいことだけど、自分の健康を過信してはダメだよ。規則正しい生活に気を付けながらバランスよく仕事に取り組みなさい。」と応援します
次は40代に入っていくのですが、今回は文章が長くなってきたのでその後の年代は次回に書こうと思います。
2021/03/11
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師と仰げる人
今回は「師と仰げる人」について書いてみます。
私は今までに何度か仕事に関しての転機がありました。
新たな資格を取得したり、研修を受けたり、転職、起業などです。
そういった中でも、仕事をする中での人との接し方について教えをいただいたという大きな転機があります。
私が30代後半になる頃で、会社でも部下ができてきた頃です。
会社の中でより大きな仕事を任されるようになってきて、一人ではできないサイズの仕事を任されるようになりました。
そうすると部下を巻き込みながら仕事を上手く進めていかないといけない立場になりました。
自分一人で仕事をしているうちは、仕事の大きさも小さいので自分ががんばればなんとかなるもので、夜遅くまで仕事をすれば仕事は処理できていました。
しかし、仕事のサイズが大きくなると人の力を借りて(使って)仕事をしないと自分一人では到底できるものではなくなります。
そこで人へ仕事の指示をするのですが、なかなか人は自分の思い通りには動いてくれません。
私は「夜遅くまで仕事をしてでもやるべきことはやらないといけない。仕事とはそうゆうものだ」と考えていたので周りの人たちの動きが私の思いと違ったときにとてもストレスを感じ、「どうしてみんなはもっと仕事をしないのか」と思っていました。
その思いに迷いなどは無く、自分が正しいと思っていました。
当時私には部署は違うのですが本田さんという女性の上席者がいました。
ある時本田さんに呼ばれ「廣田さん、あなたのやり方では仕事はうまくいきませんよ」と言われました。
なぜかを教えてくれたのですが、「人はそれぞれ違います。あなたのあたりまえは他人のあたりまえではないのです。仕事をうまくやりたいのでしたら、相手の行動を理解しようとする姿勢が必要です。」と言われました。
私は本田さんから、人それぞれ育ってきた環境が違い、経験してきたことも違い、能力も違うということを教えられました。
当時、職責も上がっていた自分に注意・指導をしてくれるような人はいない中、本田さんから言われたことはとてもショックな事でした。
自分は正しいと思っていたことが、まだまだ自分は経験が少なく本当のことが分かっていないということに気づかされました。
それからは、相手が自分の考えとは違う行動をとったときに、その人がどうしてそのような行動をとったのかをまずは考えるようになりました。
相手には相手の事情、自分が知らない理由があるのではないかと。
私が今会社という組織が作れているのも当時教えていただいたことがあるからだと思います。
何か起こったときに、一旦相手の側に立って物事を考えてみて、そうゆう行動をする理由がどこかにあるのではないかと思いを巡らせるようになりました。
いま本田さんは会社を定年して非常勤で前職の仕事を手伝っていますが、今でも多くの人から慕われており、当時の社員が集まったときにはいつも感謝の言葉が出てきます。
本田さんは前職は日本航空国際線のキャビンアテンダントをしていた人です。
女性で素晴らしい能力をお持ちの方です。
今でも年に2回は電話で話して、自分自身の行動を見つめなおす良い機会となっています。
師と仰げる人を持つことはとても大切なことだと思います。
2021/03/01
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